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2010年04月02日

残したい、という気持ち。。。


とあるご婦人のお話です。



ある日の午後、ご年配の白人女性が、何か目的を持ったような足取りで当店へいらっしゃたところから、このお話は始まります。

決して健康そうには見えないこのご婦人、それでもオパールをご覧になる姿勢は真剣そのもの。

いろいろお話をお伺いし、どうやら近郊にお住まいの地元の方のよう。

口調も明るく、ブラックオパールのリングが欲しいこと、でもご主人には内緒のお買い物であること・・・

そんなことを少しずつ語ってくださいました。


お好みのオパールも見つかり、リングのデザインも決め、セッティングのためにしばらくお時間をいただいて、後ほどもう一度ご来店いただくことに。


2時間ほどおいて、もう一度ご来店いただき、リングの出来上がりにもご満足の様子。

その時から少しずつ本当の理由、ブラックオパールが欲しかった本当の理由を打ち明けてくださいました。


自分はがんに侵され、現在抗がん剤での治療を受けていること。

そのため、副作用がとても重く、なかなかベッドを離れることができないこと。

今日は久しぶりに体調が良かったので、以前から考えていた計画を実行したこと。

その計画とは、自分の子供たちに残していけるもの、自分に万が一のことがあったとき、形見として残せる、そんな宝石を手に入れるということでした。


決して悲観的でも悲しそうでもなく、淡々と語っていらっしゃるその姿、

“がんなのにタバコやめれないのよね”

なんて笑ってらっしゃる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


どう思われますか?

がんの告知は当然のお国柄。

ご自身の病状もよく理解されているのでしょう。

その上で、子供たち、そして孫たちに何かを残したい、という気持ち。

価値のある宝石を買っておいてあげたい、というお気持ちなのか?

それとも、いつまでも自分を覚えていて欲しいという気持ちなのか?


そんなことを一度も考えたことの無い私にはわかりません。


さまざまな方々との出会いがあります。

そんな出会いの中の1ページでした。




今日は雲が大目のゴールドコーストです。




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2010年04月11日

のどかな日曜。。。


空は気持ちよいくらい高く、

風は何処までもゆるやかで、

道行く人もまばら、


そんな日曜のお昼。


眠くなりそう・・・

2010年04月14日

ドイツとオパール 。。。


オーストラリアのオパールが発見された19世紀も後半。

はるか遠く離れたヨーロッパはドイツの町が、その後のオパール産業に与えた影響は少なからざるものでした。

そんなオーストラリアオパール黎明期のお話です。



宝石好きの皆さんなら、ドイツの Idar-Obersteinという町は当然ご存知のはず。

日本語では、“イーダル・オーバシュタイン”とも、“イーダー・オーバルシュタイン”とも記されるようですが、“イーダー・オーバーシュタイン”が一般的な様。

今の時代も宝石業界では有名な、ドイツの小さな町です。

18世紀まで、メノウやジャスパーの産地だったこの町が、カメオをはじめ、いろいろな宝石の研磨技術が集まり収束していったのは19世紀。

現在でも、世界の “Gemstone Center”として、多くの名工達の名前とともに有名な場所です。


クイーンズランドでボルダーオパールが発見され始めた19世紀末。

それまで、大小さまざまな採掘業者やディーラーが、新しいオパール産地としてのオーストラリア、特にクイーンズランドを世界中にアピールし、なんとか商売にしようとしてきました。

でも、それらはことごとく失敗。


クイーンズランドから産出されるボルダーオパールの市場が存在していなかったこと、

そして、その独特な産出状態ゆえに、カットや研磨の方法がまだまだ確立されていなかったこと、


多くの人間が夢を求めて、成功を求めて、来ては去っていきました。


そこに登場したのがこのイーダー・オーバーシュタインの業者たち。

1890年代も終わりに近づいた頃、ハンガリーなどのオパールが枯渇し始め、その後継地として目をつけられたオーストラリア。

もちろん、この町が培ってきた、そして受け継いできた研磨技術が、ボルダーオパールのその後に大きな貢献をしたのは間違いありません。


このちょっとしたブーム、イーダー・オーバーシュタイン発のブームが、ボルダーオパールだけでなく、その後のオパール産地としてのオーストラリアを確立したきっかけの一つになりました。


時は流れて・・・


今では、このドイツの町と大きな繋がりはなくなってしまいましたが、


あまり知られていない、オーストラリア産オパールの歴史のひとこまです。



朝晩がずいぶん涼しくなってきたゴールドコーストです。




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2010年04月15日

秋の空 。。。


今日は早めの出勤。

朝7時の空。

Q1と建設中のヒルトンホテル。

最近、トンボの姿が目立ち始め、陽が落ちると聞こえてくるコオロギの鳴き声。

すっかり秋のゴールドコースト。

今日は良い天気になりそうです。





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2010年04月19日

SAMURAI in the SURF


先日、地元の図書館でたまたま手に取ったこの本。

あの頃、誰もが浮かれてたあの頃、を思い出させてくれました。



舞台は80年代のゴールドコースト。

バブル景気を迎えた日本の資本が、オーストラリア、特にゴールドコーストにどっと流れ込んできた時代のお話です。

旅行先としてのオーストラリアがブームとなり、多くの日本人観光客がゴールドコーストを訪れるようになったのもこの時期。


本の中では、“Yazawa”、“Sen”、“Ohashi”にはじまり、後に逮捕されることになる“高橋治則”など、ゴールドコーストの不動産開発に登場した日本人の名前がずらっと出てきます。

そしてもちろん、忘れてならないのが大京観光の存在。

ゴールドコーストでも、そしてケアンズでも、当時、“大京観光”そして社長の“横山 修二”の名前は知らない人間がいないくらいの勢いでした。


サーファーズ・パラダイスの開発、ゴールドコーストインターナショナルホテルの建設、数々のゴルフコースの開発。

街をわがもの顔に、肩で風きり歩いていた大京の駐在員たちの姿。


大京だけでなく、様々な企業や個人投資家がもたらす円の力。

“あのホテルは~興産”、“あっちは~組”、そしてこっちは“株式会社”。

多くのホテルは日系企業に所有され、街中には日本語の看板があふれ、どんなお店にも日本人の店員さんがいた時代でした。


私がオーストラリアに来たのも、ちょうどそんな時代。

日本人として誇らしい気持ちの中にも、ちょっと異常な雰囲気を感じてました。


この本の中でも、ゴールドコーストの開発に益した日本人の役割に触れながらも、当然起こった反発も書かれています。

“オーストラリアが乗っ取られる!”

“これはゼロ戦を使わない侵略だ!!”

なんて言葉がメディアに登場し、アジア系移民を抑えようという運動が起こったのもこの時期。


確かに、日本の投資により、不動産価格が数倍に高騰し、地元住民にとってマイホーム購入が難しくなってしまったのは事実。

ですが、この日本バブルの波で大金をつかんだ地主や不動産業者がいたのも事実。

そして、この波がなければ、今のようなゴールドコーストの街並みがなかったであろう事も事実です。


今では、大京の名前を聞くこともほとんどなくなり、日系企業が持っていたホテルやリゾートも大半がその手を離れています。

毎日、わんさか日本人観光客がやってきて、“シーバスリーガルを50本ちょうだい!”なんて買い物してたあの頃。

懐かしくもあり、何かむなしくも思い出されます。


あの頃、皆さんは何をされてたのでしょうか?



今日は曇り空のゴールドコーストです。




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2010年04月23日

永遠の0 。。。


今日も、本をご紹介させていただきます。



オーストラリアではアンザックデデーが近づいています。

テレビでは戦争映画や特集番組が増え、‘JAPANESE’という言葉が頻繁に聞かれるこのごろ。


第一次世界大戦から、現在進行形のイラクやアフガンまで、戦争に従事した兵士たちに感謝しよう、彼ら、彼女たちのことを忘れないようにしよう、

それがアンザックデーの主旨。

日曜日にはここサーファーズ・パラダイスでも式典やパレードが行われ、毎年のこの時ばかりは、国中が戦争を語っているよう。


なんで、そこまでするの?

もう忘れてもいいんじゃない?


なんて、感想を持っちゃうのは、やはり日本人としての見方なのでしょうか?


このオーストラリアの騒ぎと、あまりにも違いすぎる日本の戦争、あるいは兵士たちに対する姿勢。


同じように国のため、家族のために戦争という行為に参加してしまった立場なのに、犠牲になった日本の兵士たちの取り扱われ方は、あまりにも寂しすぎる、そんな気もします。


先日、これも地元の図書館で見つけたこの本。

一気に読んでしまいました。


特攻兵士として犠牲になった祖父のことを調べていく孫。

そんな内容なのですが、読み進んでいくうちに、この孫の戦争に対する考え方や、会ったこともない祖父への思いの変化が綴られ、やはり忘れてはいけないこと、語り継いでいかなければならないことの重要性に気がつかされました。


幸い、日本は表面上は平和。

でも、今でも戦争はそこらじゅうで進行中です。


戦争したい人はいないはず(そう信じたい)。


日本でも、もう少し戦争で亡くなった人たちのことを思い出すべきなのでは?


そんな風に感じる時期です。



今日は久しぶりの青空です。




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2010年04月26日

今月・・・、2度目 。。。


それはある日突然送られてくる。

差出人の名前もない封筒。

ちょっといぶかしみながらも封を切ると、そこには!

たった一枚のA4版の紙に印刷された我が愛車の姿!!



ばっちりとナンバープレートが写し出された横には、、、


“13キロ以下のスピード違反”の文字が!!!


今月、これで2度目・・


前回の罰金まだ払ってないのに、また・・・・


どうやら場所は、今回も同じスピードカメラ。


今年に入って新しく設置されたこのカメラは、後姿を写すんです。


普通、スピードカメラといったら前からでしょ、ね。


それなのに、

まさか後ろから撮られてるなんて・・・・

それも60キロ制限を10キロオーバーの70キロ。

10キロくらい誤差じゃないの?


日本にいる頃は、スピードカメラは経費がかかるんで、10キロそこそこの違反じゃ撮影されること無い、そんな噂のようなこと聞いたことあります。


でも、技術の進歩はたとえ10キロだろうと、イヤイヤ1キロだろうとオーバーしたら撮影されるのかも。


10キロでも違反は違反、わかってますとも。

悪いのはわたくし。

それにしても、こう立続けとは・・・


州によって様々ですが、クイーンズランド州では3年間で減点7で警告文が送られ、減点が12点になると免許停止の処置が。


今回は13キロ以下のオーバーで、1点減点と130ドルほどの罰金。


きっと、あの新しく設置されたカメラは、毎日、何十台、何百台の車をせっせと撮影してるんでしょう。

ゴールドコーストで、イヤきっとクイーンズランド州で一番の稼ぎ頭に違いない。

一台あたり130ドルとして、100台違反すれば、、、

!13000ドル!!

!年間で・・・、約4億5千万円!!!


たいした商売です。


ゴールドコースト在住の皆さん、

北からサーファーズ・パラダイスへ下ってくるゴールドコーストハイウエイのサウスポートに入る手前、左手にケンタッキーが見えたら要注意。

その先の橋を渡ってすぐのところに、商売熱心なカメラがあなたの後姿を狙ってます。


うんざり・・・・・・・



今日は快晴のゴールドコーストです。




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2010年04月30日

悪しき習慣、、、タバコ・・・・


オーストラリアはタバコ愛好者にはとってもつらい国です。



ここ20年ほど、オーストラリアのタバコをめぐる環境は大きく変化してきました。

パッケージから銘柄のロゴやキャッチフレーズが消え、かわりに生々しい写真が表示されるようになり、

スーパーマーケットのタバコ売り場は縮小され、タバコの広告なども撤去され、

レストランはもちろん、バーなど、公共の室内での喫煙が禁じられ、

よく見かけた道路沿いの立て看板も、いつの間にかまったく見かけなくなった。。。


そして値段。


カートンあたり約八千円、20本入り1箱800円 !!


そのタバコのみには厳しい環境が、今日からより厳しく。


今日からタバコにかかる税金を25%上げたオーストラリア政府。

1箱あたり約120円、カートンあたりで2500円の値上げ!!


とうとう1カートン100ドルの大台に乗ってしまった。


政府は、今回の値上げで3%程度喫煙者数を減らす事ができる、そんな風に発表しています。

もちろん増税分の国庫収入が増えるのも事実。


タバコのみたちは、

いつも税収を増やすためのターゲットにされるのがタバコで、政府の本音は喫煙者の健康を心配しているのではなく、あまり文句のでない形での増税が目的である。

そんな心細い抵抗、反撃ができるのみ。


私もタバコのみのひとり。

今回の値上げはキツイ。


そろそろ辞める時期なのかも・・・・・


Cigarettes slapped with 25% tax hike



素晴らしい青空のゴールドコーストです。




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