ブラックオパールの故郷 『 Lightning Ridge (稲妻の尾根) 』

これまで、オパールについていろいろお話させていただきましたが、ここではブラックオパールの産地ライトニングリッジについてお話していこうと思います

ライトニングリッジ ライトニングリッジ

ライトニングリッジ(Lightning Ridge)は、オーストラリアのニューサウスウェールズ州北部、隣のクイーンズランド州との州境に近い内陸部にある約20キロ四方の小さな町です。ゴールドコーストから約750キロ、シドニーから約770キロの場所にあるここは、何の特徴もないオーストラリアの田舎町ですが、ブラックオパールという他には類を見ない美しい宝石が、この小さな町の名前を世界中に知らしめているのです。


【ライトニングリッジの歴史】

まずはこの町の歴史からお話していこうと思います。いつ、誰が名付けたのかは定かではありません。通説では、19世紀中ごろ、ある羊飼いが彼の犬、そして600匹の羊を連れ、雷を避けるために尾根の影に隠れていたにもかかわらず、ひどい稲妻に打たれ命を落としたことから、この地をライトニングリッジと呼び始めたとされています。しかしこの地名自体もオーストラリア政府に公式に認められる1963年9月5日までは、地図にも載らない土地でした。初めてこの地名をつけたホテル(旅館)が建てられたのが1884年。荒地の中の何もない単なるひとつの田舎集落に過ぎなかったのです。そうした時代から約100年が過ぎ、今やライトニングリッジは、人口が急増している、州内でも有数の場所になりました。ブラックオパールというたぐいまれな美しさを持つ宝石が発見されていなければ、ここもオーストラリアの他の多くの街がたどったように、今や廃墟、ゴーストタウンと化してしまっていたかもしれません。

ライトニングリッジの運命は、1900年代に入ってすぐ、チャーリー・ネットルトン(Charlie Nettleton)という一人の男の出現により決まりました。彼は、当時オーストラリアで盛んに採掘されていた金の新たな鉱脈を求め、約700キロ内陸部のホワイトクリフ(White Cliffs)というところから徒歩でこの地へやってきた根っからの山師でした。ある晩、たまたまライアンという牧童の家族といっしょにキャンプを張ることになります。この時、その牧童がチャーリーに見せた黒っぽい不思議な石、これが記録に残っている最初のブラックオパールでした。チャーリーはすぐにそれがオパールであることを見抜き、かつて見たどんなオパールとも違うその表情にたいへん魅せられたと伝えられています。

結局、彼はライトニングリッジで金を見つける事は出来ませんでした。それでも、この地で新しいオパールの採掘をすることにし、1902年10月15日、最初の坑道を掘り始めました。しかし、1903年になり、それまでに何も見つける事の出来なかった彼は、その最初の鉱区をあきらめ、少し離れたところにあらたな坑道を掘り始め、そこでついに美しいオパールを見つける事に成功したのです。こうして世界で始めてのブラックオパール鉱山が生まれました。

しかしそれほど簡単にうまくは進みませんでした。こうして採掘に成功したオパールを、シドニーの買取業者に送り、その返事を待っていましたが、帰ってきた返事は決して彼を喜ばせるものではありませんでした。そのシドニーのディーラーはブラックオパールの独特な美しさ、そして価値に気が付かず、最低品質のオパールであり全部まとめても約1ドルという低い評価しか与えませんでした。

ここで、チャーリーがあきらめてしまっていたら、ブラックオパールの美しさが世界に紹介されるのはずっと後の時代になっていたかもしれません。

彼はあきらめませんでした。


1920年代のライトニングリッジ

上の写真は1920年代のライトニングリッジです。

どうしてもあきらめ切れなかった彼、チャーリーは、このオパールを持って、再び徒歩で、ホワイトクリフへ向かいました。ホワイトクリフはオーストラリア最初のオパール鉱山として、1884年以来、数多くのライトオパール(透明度の高い、白っぽいオパール)を産出し、そのため、多くの買取業者たちが集まっている場所でもありました。1903年の11月、ホワイトクリフに到着したチャーリーは、さっそく当時最も有名だった業者のもとへ彼が採掘したオパールを持ち込みました。その業者は即座にその美しさと価値を見出し、11月11日、チャーリーに30ドルの買取金額を提示したのです。以前の30倍の金額を提示されたチャーリーはもちろんこれを受け入れ、その業者に全てを売り渡しました。

ライトニングリッジ最初の鉱区 チャーリー・ネットルトン記念碑

チャーリーが採掘した最初の坑道跡 (左) と彼を記念し、称えるプレート (左)

一方、すっかりブラックオパールの魅力に取り付かれたその業者は、部下に手に入る限りのブラックオパールを買い付けるよう命じ、ライトニングリッジに送りこんだのでした。こうして、現在まで続くライトニングリッジの名声は始まったのです。

現在のライトニングリッジ

この写真は今年(2005年)のライトニングリッジです。
基本的には上の写真とあまり変わってないのかもしれません。

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